バスルームで入水まがいの考察

天井から落ちた雫がぴちゃりと音を立て、水面を震わす。
ゆらゆらと光を底に映し、肌に映し、そして目を瞑り脳裏に映す。
深く息を吐き出して、僕はバスタブから両の脚をあげた。

 難しい意味は、ない。行為の理由を問われても「なんとなく」としか答えられない。答えようがない。僕は水底に沈んでみたかった。外の世界を絶って、唯々水底へ。深海のそれと違ってバスタブは浅いし、人工灯に照らされ余すとこなく煌々と明るい。それでも、僕は沈んでみたかった。深い、水底へ。その衝動が強くなったのが今この瞬間だっただけのことなのだ。


 沈む、沈む、浮き上がる、沈む、沈む
耳から鼻から水が入り込み、口から鼻から、空気が吐き出される。

ぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶく

 取り込まれた空気をすべて吐き出してしまえば良い。
簡単なことだ。そうすればカラダは更に水底へ沈む。


さあてここでひとつ考えてみようじゃあないか。

 とは云ってもそんなに大それたことをあげるつもりはない。
今夜は何か面白いテレビがあったかなあとか、明日までの数学の宿題は誰に写させてもらおうかなあとか、夜食は何を食べようかなあとか、明日の天気の心配だとか、それと同列にして僕が本当にここで溺死してしまったらその後はどうなるのか、なんて他愛もないことだ。

 一番最後を他と同列に扱うのは普通ではないのだろう、と思う。
周りにいる他人を見渡したところで、あるいは会話を交わしたところでそういった印象は未だかつて受けたことがない。

 自分同様上手く隠しているのかと疑ったこともある。けれどすぐに否定した。
彼らは何も、自分が何者で、何のために生きて時間を過ごしているのか、それどころじゃない、生きているという事実にさえ疑いを抱いてはいないのだ。

 早々にして僕は悟った。僕は異質なのだと。
そしてそのことに対して僕は苛立ちを憶える。
違うと思うことが悪いんじゃない。何を違うと判断するのか、その基準が問題なのだ。善と悪、そんなものじゃあない。
要するに僕は不安で仕方がないのだろう。

 世界が僕を拒絶する前に、僕は世界を拒絶する。
(なんて恐ろしい発想だろう!)
示唆するのはひとつ。僕にこのまま沈めという。

 ごぽり、と大きく空気が吐き出された。息が、苦しい。
心臓は四回動くたび一回の呼吸を必要とするという。
今僕は何回の要求を却下しただろう。
鼓動が一際大きく聞こえる。
肺は悲鳴をあげて酸素を求め る。

 『男子高校生 風呂で溺死 自殺か』

明日の朝の新聞の見出しを思い描きながら、僕は笑った。