青い春に告白する

 かちゃりと軽い音を立て、芥辺探偵事務所入り口のドアノブがまわった。夕飯の買い出しに出掛けていた佐隈の帰りを知って、思い思いに過ごしていた悪魔二匹は、揃って玄関に飛びついた。

「おかえりなさい、さくまさん」
「さくおかえり! アザゼルさんのお菓子は買うてくれた?」
「ありませんよそんなもの」
「ひっどー! ワシ首を長ぁ〜くして待っとったのに」
「……おかえり、さくまさん」

 言いながら、部屋の一番奥、窓を背にして座る芥辺は読んでいた書物から顔を上げた。佐隈の後ろに人影を認め、目を細める。
 光太郎と同級生であり稀代の悪魔使いである小山内と、彼の契約する【模倣】を職能とした悪魔オセだった。
 小山内がメガネを押し上げ、小さく会釈する。

「おや、珍しいですね」

 あなたたちが一緒に居るなんて。皆の見解を代弁し、ベルゼブブがねめつけた。

「はい、買い出しの帰りにたまたま会ったんです。荷物運んでもらっちゃました」

 スーパーの袋を小さく持ち上げ、とっても助かりました! と、にこやかに花を散らしながら佐隈がいう。

「ありがとう小山内くん。手伝わせちゃって」
「元々お邪魔するつもりだったので構いません」
「あ、光太郎くんに用事かな? ちょっと待ってね」
「いえ、今日は貴女に……佐隈さんにお話が」
「私に? なんですか?」

 佐隈は小首を傾げた。とりあえず、と小山内に向い合せになった応接用のソファーに座るよう促し、自らも対側へと腰を下ろす。

 かしこまって話とは何か。
 静かに、ねっとりとした視線でベルゼブブは観察した。小山内はなかなか佐隈とは目を合わせようとはせず、視線を宙に漂わせている。僅かに握っては開いてを繰り返す手のひらにはしっとりと汗をかいているようだ。腰の座りも悪く、そわそわと落ち着きがない。……【暴露】の職能を行使せずとも、手に取るようにわかる。

 ――これは……もよおしているに違いない!

「さぁさ、トイレはこちらですよ」

 ベルゼブブは紳士らしく、上品な笑みを浮かべて手洗い場を示した。その手には、いったい何処から取り出したのか、青いふたのタッパーが載っていた。
 間にアザゼルが割り込む。

「ちゃうちゃう。べーやん、こいつはなぁ、さくのイソギンチャク(笑)を拝みにきたんや」
「し、失礼だな!」

 おどおどと小山内の後ろに隠れるようにしていたオセだったが、聞き捨てならないとばかりに、アザゼルの前にぴょんと飛び出た。

「いや確かに見た目はイソギンチャクかもしれないけど、日々リアルになってるんだぞっ この前だってなああ」
「そーかそーか、ほなら、その完成品見せてもらおうか、ん?」
「それは、そのぅ……小山内クンに聞いてみないと」

 じりじりと壁際まで追いつめられ、困りきったオセを一瞥するや、

「静かにしてくださいアザゼルさん」
「オセ、余計なこと言うな」
「おっ?」

 アザゼルが壁に打ちつけられ、ぐじゃりと肉の潰れる生々しい音がした。佐隈により、容赦のないグリモアによる一撃がくだった。肉塊と化したアザゼルには見向きもしない。

「あれっ、小山内クン、毎晩僕に作らせてるじゃないか! 小山内クンが良いって言うなら」
「黙れオセ」
「酷いよ小山内クン!」

 小山内は足に縋りつくオセを冷たく一蹴した。足蹴にされながらも、それはアザゼルの亡骸とは比べものにならないほどかわいいお仕置きだった。
 嘆きながらも察したのか、オセはおずおずと悪魔たちの元へ戻っていった。ベルゼブブが桃色の肉の塊、もとい、急速に治癒しつつあるアザゼルをつんつんと突いているところだった。
 なんだかんだ言って悪魔同士で仲良いですよね、と佐隈は暢気に感想を抱く。

「それで、お話って何ですか?」
「……えぇと、その」

 小山内を見れば、膝の上でぎゅうと手を握りしめ、ズボンに皺をつくっている。何か言おうと口を開きかけては噤み、俯く。見ているこちらにまで緊張が伝わってくる。

「話づらいなら場所変えよっか」
「いえ……」

 小山内は他の場所にと腰を浮かせかけた佐隈を制した。意を決して、ゆっくりと、口を開く。

「そこのペンギン……」「誰がペンギンだクソガキャア」
「僕が死んでも奴ら悪魔は永久にも近い時間があります」
「うん?」
「……その短い人間の時間を、僕にください」

「僕に命ある限り、必ずさくまさんを幸せにします」

「佐隈さん、貴女が好きです」

「僕と、付き合ってください」



***



 ぱりん。事務所内の時間が止まるのと同時に、何かが割れる音がした。次の瞬間、アザゼルを中心に強力な引力が発生し、割れた硝子が彼目掛けてとんだ。自由落下速度以上の重力加速度をもって、尖った破片が突き刺さる。

「ちょお待って、ワシなにもしとら……ぎゃあああああ」

 耳をつんざく友人の断末魔に片目をつぶり、ガラスが割れたような華奢な音の発生源を振り返って、ベルゼブブは蒼白した。
 事務机からぼたぼたと珈琲が零れ落ちる。割れたのは、芥辺の手元にあったグラスであった。おそらくは、いや、確実に、芥辺が、グリモアによる罰を下したのだ。影を落とし表情の見えない氏が憤っているのは間違いない。底知れぬその怒りが向いた先が己でなかったことに心底安堵すると同時に、恐怖に震えあがる。

 さらに恐ろしいことに、この場の人間という人間は誰一人モザイクの塊には見向きもしない。哀れアザゼル。友人の冥福を祈りながら、ベルゼブブは佐隈の横顔を見上げた。強固のフラグクラッシャーである彼女なら、先の小山内の戯れ言などあっさりと捨て置いてしまうだろうと信じて。

 コホンと小さく咳払いをして小山内は姿勢を正した。メガネのレンズ越しに、佐隈をまっすぐに見つめる。真剣な瞳には、秘めた知性がきらり光った。

「佐隈さん」
「は、はいっ」

 熱のこもった呼びかける声に、佐隈もつられて姿勢を正した。満更でもなさそうな佐隈の姿に、ベルゼブブは舌打ちをした。ビチクソ女が一丁前に頬染めてんじゃねーぞ、と。

「考えてみていただけますか」
「ほ、ほら、小山内くん中学生でしょう? まだそういうのはやいかなあっていうか」
「今すぐにとは言いません。僕は何年だって待ちます」

 間髪入れず、小山内が告げた。佐隈の目を見据えたまま、はっきりと力強く、言い添える。

「貴女のためなら」



「ええっと……」

 真摯な告白に、佐隈はどぎまぎと視線を彷徨わせた。
 ぎりぎりと青筋を立てたベルゼブブ(きっとイケニエのカレーの禁断症状なんだろうな、と佐隈は解釈した)。傍らから固唾を呑み成り行きを見守るオセ。アザゼルはただの屍のようだ。それから、無言のまま読書に没頭している(風にみえる)芥辺。

 芥辺さん。
 彼の反応が気にならないわけがない。年下の、それも中学生に翻弄される姿はどう映っているだろう。あとで何と言われてしまうだろうか。その表情は逆光のためうかがえない。

 めまぐるしい思考の末に、ようやく佐隈は口を開いた。言葉を選ぶよう、ゆっくりと紡ぐ。

「小山内くんが大きくなって、それでもまだ私のこと好きでいてくれるなら、そのときまたお願いしていいかなっ」
「おいさく、アンダインみたいなこと言うてんで……ってまた! ぎゃああああ」
「えぇ。僕の気持ちは変わりません」

 再び、佐隈からは死角になる机の下でグリモアが鈍く光り、アザゼルに制裁を加えた。今度は振り返ることもできずに、友人のなれの果てを直視してベルゼブブは戦慄した。グリモアの罰により死ぬことはないとはいえ、これはあまりに惨すぎる。

「……っと、小山内くんも夕食食べて行くよね、カレー」
「はい、いただきます」

 相手が幼く映る中学生であれ、好意を示され嬉しくないわけがない。佐隈は明るく言い放ち、勢いよく立ち上がった。今日の献立もまたカレーだった。けれど今日はいつも以上に、腕によりをかけて作らなければ。

 うきうきとキッチンへ向かう佐隈の後ろ姿を見送って、小山内は満足気に息を吐いた。

 佐隈さんは僕をまだ子どもだと思って、身近なところの年上のお姉さんに惹かれているだけと思っているかもしれない。
 それでも構わない、と小山内は口の端を歪めた。

 絶対に振り向かせてみせる。僕ならできる。自信がある。
 殺気を放つ主たちを横目に、小山内は静かに闘志を燃やした。佐隈の姿がキッチンに消えてからというもの、肌を刺すびりびりとした殺気を背中に感じていた。

 深く息を吸い込み、ゆっくりと余裕を持って振り返る。
 今にも襲い来る猛獣のような禍々しいオーラ。あからさまな敵意を隠そうともしない芥辺の双眸と対峙した。鋭い眼光は口よりも物を言っていた。だが、それだけだ。

 最大の敵となるだろう芥辺に向かって、小山内は不敵な笑みを返した。